ありのままとは?存在に期待をしすぎでは?

日差しは春めいて、私を悩ませる花粉の気配も色濃くなってきていたが、風が冷たい日だった。


オザケンがMステに出ていた。‪期待以上でも以下でもなく、ただその声質と歌詞の内容の変化で、人は基本的には順当に歳をとるのだなぁということがとてもわかりやすく伝わってきた。社会学者っぽいとか、メディア論の教授っぽいとかTwitterのTLで流れてきたが、記号論やってたドクターにこんな人いたなと思った私の発想が1番地獄らしさがあると思った。もうタイトルとジャケ写の時点で私の中途半端なノスタルジーはだいぶダメージを受けていた。



恋人からありのままの自分を好きになって貰おうと思ったことがない。私のような輩と正式に付き合う時点で何かしらあなたの認知や判断にエグめの歪みが生じているのだろうし、どうぞ好きなように解釈してくださいな、その、あなたの好きな解釈が、幻想が崩れないようにしっかり努めるのが、恋人としての私の役目で勝負どころ、と思う。無論、楽しめる範囲で。


嘘や演技と揶揄されるか?それ以前に私は、そもそもありのままの自分なんてもんの存在を無条件に感じたことがない。皆はあるのか?ありのままとは?存在に期待をしすぎでは?


状況に応じて義体も脳殻も変えてきた なら記憶も変えるまでよ って姐さんのセリフ思い出した。


ありのまま?構造に関心を持ったことは?存在とは?世界とは?無とは?


(相手が好いてそうな役どころさえしっかり押さえてれば、他の部分で酷い面を見せても柔軟に受け入れてもらえるもんじゃないかしら)


ありのまま愛されたい、じゃなくて、現状に甘んじたいとわかりやすく言い換えたら、自分にも先方にもエコでは?このままでいたいのは、別に悪いことじゃない。最悪、ゴリゴリマッチョな人間から怠惰と揶揄されようが、怠惰もまぁ美しいさ。相手への好意とのバランスだもの、やりたくないことはするべきじゃない。


筋トレをして存在したい

おやすみなさい。